3ねん
ときが とまっていたような
あきの おまつり
わたしたちの
なにげない くらしは
あっ
というまに かわってしまいました
いや これからも
ものすごい はやさ で
かわって いくのです
かわったのは わたしたちだけではない
この じかんの ながれ かんきょう べんりさ
「いま ここに いる」
そういった はだでかんじる くうき ひかり
わたしたちは モニターをみて タブレットをスワイプすれば
なんでも わかってしまう まほうがつかえます
でも ほんとうは
わかっていない ことも たくさん たくさん
あって
そのために じぶんであるいたり
その め で ほんものに ふれたり
いきづかい や うごき おと におい
からだぜんぶをつかって かんじるのです
わたしたちが どこで うまれ
どこからきて
どこへ むかうのか
わたしたち の
だいじな もの
それは かんたんには かわりません
ですが なくしてしまうのは たやすいことです
そして それは たましいに きざまれているはずなのです
いまは わからなくても
そのうち わかる
はじめてみた まつりの
せりあい
たいこにふえ ちんどんと
わをかいておどる このけしきは
きゅうごしらえ で できたもの ではありません
わたしたちは
わかりやすくて きもちのよいもの だけを
すくいとりやすい じだいを いきています
だからこそ この ふかみのある
そこしれない かこへの じかんのながれと
はだでかんじるじかんに ぞっとしたのです
しませんか そのうちします
いまを いのちをかがやかせたい
まつりからは そんな いのりと よろこびをかんじます
「ぼくは (みれて) きょうが よかったよ」
そう ひとにいえる
そんなひとに なってください