がっこうの だいきゅうのひ。
なんにんかで 「くろだけをつかって えをかこう」という
えの プランをいっしょにやりました。
つかったのは ボールペンに マーカーペン、えんぴつに くろい いろえんぴつ。
いくつかのどうぐを ためしがきもしながらあそんだあと、
はこや ボトル、テープのだいなどを「よくみてかこう」ということを やってみましたよ。
ここで だいじなのが
「みえたままかく・しゃしんのようにかく」ことよりも、
「めのまえのものから じぶんがしらなかった せんを さがす」
「じぶんの そうぞうだけではかけないものを そとのせかいからとりこむ」
「てと めと こころ をつないで あたらしいものをつくりだす」
ことなのです。
しゃしんかの どもんけん さんが こういっていました。
「とにかく さいしょは へたでもいい。
とりたいものを ひたすらとりまくること。 わざは あとからついてくる」
うまくなりたければ、いろいろな こつや ぎほうがあります。
しかし、それよりも「すきなことをつづける」ことが
だいじなことの ひとつではないだろうか
そうおもいます。
1じかんちかく ひたすら てが まっくろになるまで
えんぴつで ぬりつづけた ひと。
さいごに びり びり びりり くしゃ。
それをもらって はりあわせて
ひきのばしてみました。
たちまち そこに 「ずっと かみにくろをぶつけた」という
きょうれつな そんざいが たちのぼってきた
のです。
「アート」とは
「そこにある」
ことです。
「なるもの」ではないのです。
おひるをたべて
たごのうらで りゅうぼくをひろったら
ふじロゼシアターのなかにある
「かみのアートミュージアム」
に むかいました。
かみのアートフェスティバルでしょうをとられたレイラさんのさくひんが てんじされていました。
じぶんで かみをすき
そこに チャコール という すみで
しきつもる おちばや けしき をかいていく。
おりかさなる じぶんの うちがわと そとの しぜんを
すけながら かさねていく。
きょう やったことの まとめのような
さくひんてん でした。