6がつさいごのいちにち。
このひは しずおかけんりつびじゅつかん に みんなでむかいました。
まえにきたひと はじめてのひとも。
びじゅつかんは かざってある絵が なんかげつかでかわるばしょもおおいので なんかいか いっても たのしめますよ。
いりぐちから プロムナードという さんぽみちをあるいていくのも たのしいです。
こんかいは じかんのつごうでみることができませんでしたが、プロムナードには ちょうこくがかざってあって まわりのけしきとともに たのしむことができます。
そういった ゆっくりとしたじかんのつかいかたも たのしみかたのひとつですね。
こんかいのてんらんかいは
「センス・オブ・ワンダー」
このことばは レイチェル・カーソンのことばをかりているそうです。
かんじること すべての おどろき。
みて かんがえることとおなじく
はだや おと におい すべてから しみこんでくる
かんかく。
それを かんじさせられる てんらんかいです。
かんばんも モニュメンタルで いいきねん。
みんなで いちまい しゃしんをとりました。
びじゅつかんの なかのしゃしんをとることはできませんでしたが、こどもたちは かんかくに ちょくせつうったえてくるさくひんたちに あっとうされていました。
せつめいするまでもない あっとうてきなそんざい。
かんじよう、かんがえるまえに。
そんなメッセージをかんじました。
ことばにできないものだからこそ かたちになる。
ことばにできないものをかたちにする。
これは 福祉 そして 放課後等デイサービスでも キーワードなのではないでしょうか。
みんなが なにをみているか なにがみえているかはわからない。
だからこそ みようとし つくろうとするのかもしれません。
あれも これも それも
さくひん。
だとしたら これも?
わたしたちのみのまわりには いしきしていないだけで
たくさんの
むげんの
うつくしいものが
どこまでも
ひろがっています
それを かんじれたらいいですね
びじゅつかんのそと はじっこでおべんとう。
いいけしきをながめながら たべるおべんとうは
かくべつでした。
にちじょうに うもれてしまいがちな わたしたち。
たまーには こうやって じかんとくうかんをきりはなされた
せいしんと ときの へやに
くるのも
わるくないよね と わたしはおもいます。